::: 対談企画 特別編 :::
上田誠インタビュー2(ネタバレあり)
UEDA MAKOTO INTERVIEW
テロップや語りで、いろんなレイヤーを入れることを意識。
──ネタバレなしインタビューの最後であれだけ脅かしてはいましたが、怖さ的には「ときどきヒヤッとするけど楽しい」という塩梅でしたね。
怖くなりませんでしたね(笑)。今回取材とかで「怖いんですか?」と聞かれた時に、どう答えていいかが難しかったです。「怖くないです」っていうのも変だし。とはいえ「本当に怖いですよ」とか「あなた次第です」って言っても、お客さんが減るんじゃないかって。というか、それってお笑いのライブに対して「笑えるんですか?」ってたずねるようなもんなので、聞く方が悪いというか(笑)、本当に答えにくかったです。
──私もそういう質問をしていたので、大変申し訳なかったです(笑)。でも怪異によって不穏な空気が流れても、不思議の数をカウントするテロップを出すことで、そのムードを笑いに変えるというアイディアがさすがでした。
テロップがなかったら、もう少し怖かったかもしれないですね。あれがあるおかげでというか、あれがあるせいで(笑)、怖さが毎度客観的になる……現場で起こってることが俯瞰になるんですよ。77個を律儀にカウントしていくことで、話に引きの目線のレイヤーが一枚かぶさるという。それはけど面白いなと思ったし、前半は特にそれを頻発させました。逆に後半ではテロップの頻度を少なくして、劇に入ってもらうようにしたつもりです。そういう「レイヤー感」って、ホラーにおいては大事で、ナレーションもレイヤーをなす役割をしています。だいたいホラーって、冒頭に何か怖いシーンがあった後に「……ということが、俺の知り合いにあったらしい」みたいに話の一度外に出る。その後、同じことがまさにここでも起こる……というのが定番なんで。入れ子の奥にあったものが、レイヤーを越えてジワジワとこっちに来るみたいなことが、怖さのセオリーなんだなあと。そういういろんなレイヤー感というのは、すごく意識して作りました。最後の「お前だー!」で、一番レイヤーをぶっちぎれたらいいなと。
──「お前だー!」の怪談は『ムーミン』(2004年)でもネタにしてましたね。
僕、「お前だ」がすごく好きなんですよ。演劇と客席の関係として、額縁舞台でまったく客席と切り離す劇もあれば、客席に話しかけるような方法もあって。そういう客席との関係性が、いろいろと試されている中で、「お前だ」はとてもくだらない形でそれを破ることができる(笑)。だからこのパターンが好きなんだと思うし、自分では大変気に入ってるラストです。
──キャストは大まかに「驚かす側」と「驚かされる側」に分かれてましたが、何か振り分ける基準があったんでしょうか?
それはちょっと、ありましたね。(驚かされる側の)石田君と本多君は、圧倒的なノドの強さがあるので、ずっと叫ぶ役でも大丈夫だし、なおかつ嫌な叫び声じゃない。たまに悲鳴が、耳につくタイプの人もいるじゃないですか? あと今回「ちゃんと主役を作ろう」と思った時に、そういえば最近本多君が中心になってる劇ってなかったなあ……というのもあって。今回は祷さんが語り部で主役っぽくはあるんですけど、実はやっぱり本多君じゃないですかね? 生徒よりは、先生のことを書いた話だと思うので。
幽霊から見たら、生きていること自体が“青春”なのでは。
──永野さん演じる教師が幽霊だったとか、教頭は入道だとか、「実は人間側ではなく怪異側でした」となる流れは、足元をすくわれる怖さがありました。
何かがどんどん出てきて怖いという足し算の怖さがあれば、「さっきまでいたアイツって誰?」「え、そんな人知らないよ」っていう、引き算の怖さもあって。そういう信じていた足場が崩れるような怖さの方が、僕は好きなんですけれど、演劇でそれをやるのは難しかったですね。それをやっちゃうと、その役者が次のシーンから出てこれなくなるので(笑)。そこを何とか逆手に取って、永野さんにはヨーロッパ企画では珍しく、一人二役をやってもらいました。でもムジナの所もそうですけど、ああいう前提にしていたいろんなことが疑わしくなっていく感覚って、面白いですよね。
──あとイジメに遭ってたと推測されるハマノさんが、やっと仲良くなれた友達が、生きてる人間ではなく幽霊だというのも、微笑ましいけどよく考えたら切ない話です。
確かにそうですね。ミサワの妊娠とかイジメの話とか、きれいには割り切れないことが今回は出てきてます。でもこういうネガティブな出来事や人間関係って、特に特別なことじゃなくて、現実の社会集団で……たとえばヨーロッパ企画内でも、ちょっとした行き違いや理不尽なことって、起こったりしますしね。そういう時に僕は「ここはダメだから、よそに行こう」というよりは、その場所で割と丁寧に問題を解きほぐそうとする性(さが)なので。学校空間でもそれは変わらないと思うし、この劇が何となく含んでいる「まあそれでも、学校に行こう」というメッセージは、ホラー映画とかによくある「なんで危ないとわかっていて、その場所へ行くんだ」っていうツッコミに対しての、ある回答になっていればいいなと(笑)。
──そう言われるとヨーロッパ企画の作品のほとんどが、どこか新しい場所に行こうというよりも、今いる場所を残そうとしたり、とどまろうとする話が多いですよね。
ああ、そうそうそう。「しんどかったら休めばいいし、辞めても生きる道はある」という意見があることもわかってるし、人によってはこの劇のメッセージが乱暴に映るかもしれないけど、自分の生理としてはそっちの方なんだと思います。
──クライマックスで本多さんが「死ぬまでは生きろ!」とハマノに呼びかけるのも、ヨーロッパ企画でこれほどストレートな台詞は珍しいなと思いました。
あまり「死んだら終わりだ」とは思わないんですけど、いずれどうせ死ぬんだったら、死ぬまでは生きてた方がいいんじゃないかな? みたいな感じで、あんまり深刻なメッセージではないんですけどね。以前(少年王者舘主宰の)天野天街さんが話してた死生観なんですけど、人間って基本的にはずっと死んでて、たまたま今「生きている」という状態があって、その後はまた死んだ状態になるんじゃないか……みたいなことを言っておられて「あー、それはそうかも」と思ったんです。その「たまたま今は生きている」という感覚が、今回は割と反映されてますね。走り回る人体模型も、ずっと死んでたけど、今この時代にたまたま意識を持って生きた感じになった、とも言えるわけで。
──人体模型だけでなく人間だって、こうして肉体を持って動いてることが何かの偶然でしかなくて、根っこの部分は怪異側のモノたちと変わらない……とでもいうか。
だから僕ら、この劇を「青春もの」と呼んでるんです。高校生の若者たちが青春なのは当然ですけど、幽霊から見たら人間の生きている時間それ自体が青春じゃないかって。青春が終わっても人生は続いていくように、もしかしたら死んだ後も落武者や日本兵のように、青春の後の人生的なことが続いていくのでは……というようなことを考えましたね。青春って悪いもんじゃないから、続けられるうちは青春でいた方がいいなというのは、ちょっと思う所です。
劇団の現状が、この劇とめちゃくちゃ重なってると思います。
──最後のカナデちゃんが暴走するシーンは、自分と異なる立場の人と付き合うことの難しさや落とし穴など、ダイバーシティ時代の課題みたいなことが、さりげなく描かれていたと思いました。
それはすごい、そうかもしれないです。話の流れでそうなった所もありますけど、せっかくならと。霊のことはわからないですけど、今のヨーロッパ企画も結構……ダイバーシティとまでは言わなくても、演劇の人から映像の人もいて、学生もいれば社会人もいると、多彩な人たちが集まってて。だからふとした所で、揉めごととまではいかなくても、ある人の悪意ない言動に対して、別の人がだいぶ我慢しているとか、そういうことは起こるんです。という時に、異界の人と付き合うためのマナーみたいなのは、どの世界でも必要なんだろうなあと思います。「霊は敬して遠ざける」みたいなことを劇中で言ってますけど、それは一つの正しい態度じゃないかと。
──ヨーロッパ企画は「企画性コメディ」路線に入る前は、結構劇団のリアルな現状を反映した作品を作っていましたが、今回は久々にそういう劇になったということでしょうか?
いや、めちゃくちゃ重なってると思います。まずアイディアありきで、後で現実(の問題)と重ねられそうなら重ねる……という手順はいつもと変わらないんですけど、今回「学校」という場所を選んだ時点でそうなる予感は、かなりありました。これは僕が考えているだけで、役者がそう思ってるかどうかは別ですけど、ヨーロッパ企画に関わってくれてる若手って、一応「うちの子やな」って感覚があるんです。変わった劇団だから苦労も多いと思いますし、きっと「よそはいいなあ」と思うこともある中で、うちを選んでくれたわけだから、なるべく頑張って良い方に育ってほしいという思いがあって。それがすごく、今回の劇には現れてます。
──実は本多さんが演じた教師・コエダには、上田さんの気持ちを大いに重ねていたと。
むちゃくちゃありますね。だから「先生も全力で頑張る」ではなく「先生もなるべく頑張る」という台詞にしました(笑)。僕もダラダラすることが多い人間だから「なるべく良くする」としか言えないので。コエダのように「死ぬまでは生きろ」とまでは言えないんですけど、自己責任でついて来て欲しいという気持ちは、ちょっとありますね。
──この芝居をやったことで、次のステップみたいなものは見えていますか?
今回は劇団にとっては異色作であるけれど、割とアミューズメント的なものを目指したこともあって、すごくサービスの多い劇になったなあと思ってるんです。これからも自分がやりたいことを当然やっていくけれど、最近は役者のやりたいことも考えなきゃと思うようにもなりました。だから自分の好きなものと、役者やスタッフが作りたいものと、お客さんが見たいもののちょうどいい所で、なおかつそれが「今まで見たことがないけど、見たいかも」みたいなことを……それを探っていくのは難しいかもしれないですけど、やっぱりそこをクリアしつつ、見たことない、変わったものがやりたいな、という風に思います。
──自分のやりたいことを押し通しつつ、劇団としてトータルで満足してもらうにはどうすればいいかというのを、より考えるように。
そうなってきてますね。役者やスタッフに対しても、お客さんに対しても。やっぱり前回、前々回とだいぶワガママなことをした感覚が、自分ではあるので、今回はちょっと罪滅ぼしでもあったというか。でもそのおかげか、いつも以上にみんなの熱量や作業量が乗った、にぎやかなことができたので、こういう総量じゃないとできない劇を、またやりたいと思っています。
文:吉永美和子