::: 対談企画 特別編 :::
上田誠インタビュー1
UEDA MAKOTO
企画性と「1930年代のパリ」のローカル性を出すことを両立したかった。
──最初は「エッシャーの絵の世界を立体化したい」というアイディアから始まった企画だったそうですね。
そうなんです。前回の『来てけつかるべき新世界』の舞台が(大阪の)新世界で、原色のアジアの感じやったんで、次はエッシャーの絵のようなモノトーンの感じがいいかなあ、と思っていたんですよ。それでエッシャーについて調べ始めたんですけど、そこからトロンプルイユ……だまし絵そのものが、15世紀ぐらいから歴史のあることがわかりまして。それで言うとエッシャーって、どちらかというとだまし絵というより「不可能図形」なんですね。そういう絵画空間の中だけで成立してるような絵画よりも、現実に訴えかけに来てるようなだまし絵の方が、演劇と相性が良さそうだということで、そっちにシフトしました。とはいえエッシャーも、また数年後ぐらいに挑戦したいなとは思っています。
──今回のタイトルや宣伝美術は、有名なだまし絵をモチーフにしたとのことですが。
ペレ・ポレル・デル・カソの『非難からの逃走』という、まさに人間が額縁から出てこようとしてる絵です。カソさんは、当時写実とは別の画風が流行っていたけど「でも自分は写実がやりたい」と独自の道を歩む上で、批評家たちの声から逃れるという意味合いを込めて、あの絵を書いたそうなんです。画家の人って多分みんな、今の時流とか文脈を考えながらも自分の好きなことをやり通すという、ある種のせめぎ合いがあると思うんですが、だまし絵の世界でもそういう人がいたんだなあと。あとアメリカの、ヘンリー・ダーガーという画家というか老人ですね。この人は60年ぐらい人知れず絵を描き続けていて、アパートから出ていった時に大家が部屋を片付けていたら、おびただしい数の絵画が発見されて、それがアウトサイダー・アート界で大騒ぎになったという人なんです。そのダーガーさんと、カソさんのエピソードを組み合わせた話になりました。
──今回は、絵画シーンが最も熱かった1930年代のパリが舞台です。前回の「新世界」のような、斜陽の感じが強い場所や時代を舞台にすることが多いヨーロッパ企画では、ちょっと珍しいですね。
最初は15世紀辺りを舞台にしようとしてたんですけど、舞台美術の長田(佳代子)さんと打ち合わせをしてる時に、20世紀の頭らへんにパリが美術ですごく盛り上がったという話をしてくださったんです。それでちょっと考え直して、まずその時代のパリという設定を作ってから、その熱狂から取り残されたトロンプルイユ画家の話を作るという順番で考える方がいいなあと思って、長田さんにパリの貧乏な屋根裏部屋みたいな舞台をお願いしました。あと前回がディストピア的な近未来の話でありながら、登場人物たちは過去に向かってるような感じがあったんで、今回はエネルギッシュな過去の時代から、登場人物たちが「新しい絵画を作ろう」という未来に向かってるという、ちょうど逆のベクトルの話になればいいな、というのもありましたね。
──今回4人のゲストが参加していますが、彼らを選んだポイントは何だったのでしょう?
(菅原)永二さんとは『(建てましにつぐ建てまし)ポルカ』で一緒にやって、また『ポルカ』の匂いを引き継いだような話がやれないかなあ? と前から思ってたんです。だったら洋物で、永二さんにはノーブルな感じで絵画の話をしてもらって……という辺りも、今回の設定を思いついたポイントでした。あと川面(千晶)さんも、その時代の娼婦や酒場の女が似合いそうな予感がしたし、木下(出)さんは声楽をされていて、演出の勉強で海外留学したこともあって、ちょっと日本人っぽくない感じが(笑)。それは金丸(慎太郎)もそうですね。洋物のイメージがある人を、集めたと言えるかもしれないです。
──以前上田さんは「作品を作る前に、テーマに沿った資料などを読み込んで、その芝居を作れる身体作りから始める」という話をしていましたが、今回はどういうことから始めていったんでしょう。
前回から、ヨーロッパ企画ならではの企画性も保ちつつ、ローカル性……その劇世界の時代や地域の色をしっかり入れるという試みを始めまして。それで言うと『来てけつ……』は「大阪の劇」というローカル性は上手くできたんですけど、企画性が少なかったんです。なので今回は企画性も強めて、なおかつ「1930年代のパリ」のローカル性もしっかりやるという、両立を図ろうと思いました。それでローカル性に関しては、みんなでその時代のパリの美術に関する本を読んだり、パリの街のビデオを観たりして「パリっぽい会話ができる身体を作るには、どうしたらいいか」というのを探っていきました。そういうリサーチに関しては、割と役者やスタッフとの共同作業の方が向いてるんです。一方で全体の構造や仕掛けの方は、家で一人で苦しみつつ考えていました(笑)。
「どうなるかわからんけど、やってみたかった」ことをやってもいいかなあと。
──結果的には、その複雑怪奇な構造を、中盤から登場するある大仕掛けでビジュアル化してみせるという、なかなかダイナミックな芝居になりました。あの構造と仕掛けを思いついたのは?
だまし絵って、絵画のフレームを超えてこようとする揺らぎとか、メタ世界への肉迫の部分が面白いなあと思うんです。額縁を超えてこようとする感じって、すごくドキドキするので、今回は絶対額縁がテーマになると思いました。単なる額縁の中の絵と、それを観ている人との関係性を、どこでどうやって崩すのかという。反転させるのか、逆転させるのか、なし崩しにするのか? みたいなことを考えているうちに、ちょっと変な構造がひらめいて。これだけを徹底的に見せるって、すごく面白いかもしれないと思いました。
──今回作っていて、予想外に大変だったのは?
最初にこの劇の構造をメンバーに伝えるのに、結構苦労しましたね。演じる側にそれが伝わらなかったら、当然お客さんにも伝わらないので、どんなイメージなのかを漫画に描いて説明したりして。あと後半の大仕掛けが出てからの展開の方が、ヨーロッパの得意技と思っていたから、その分前半のドラマの部分をすごく丁寧に作ったんです。でもプレビュー公演では後半の方が「飽きる」とか「くどい」という意見が出てきて、意外と後半が鬼門やったという(笑)。それは本番までに、だいぶ改善されたと思います。
──前半の、画家のアトリエを片付ける所を丁寧に作ったということですが、特にこだわったところはありますか?
今回美術の話がいっぱい出てくるんですけど、全員が美術用語を使うというテイストでそろえないようにしようという。若手の画家たちは美術の難しい言葉を使うけど、大家は美術用語は全然使わない実質的な人。大家の弟のピエールは芸術家じゃないけど、ハイカルチャーが好きというニュアンス。さらに永二さんはアカデミックかつポエティックな感じで、金丸はちょっと野生児っぽくて、川面ちゃんはストリートな言葉遣いで……という風に、登場人物たちの言葉遣いを分けることで、それぞれのエクリチュールの違いを出すというのが、今回やってみたかったところなんです。「出てこようとしてる」という「い抜き言葉」のタイトルも、美術の言い方だと「現実空間に肉迫する」みたいな言葉になると思うんですよ。でもわざと砕けた言葉にすることで、いろんな言葉遣いで芸術を語るというか、だまし絵を語る劇にできるんじゃないかと思って付けました。そこは結構こだわったし、狙い通りにできたんじゃないかと思います。
──今回は『ロードランナーズ・ハイ』『ビルのゲーツ』『来てけつかるべき新世界』など、過去の作品のエッセンスが集約された、ヨーロッパ企画らしい作品になったと思います。
そうなりましたね。実はちょっと、怖かったんですよ。今回の構造は「これ、上手くいくかなあ?」という危険をはらんでいたんで、他の要素は安定のヨーロッパ企画で行きたいと。たとえば『遊星ブンボーグの接近』の時は、仕掛け自体が「これはすごい発明や!」という手応えがあったから、逆に中で動く人たちはいつもとは違うチーム感に……にっしゃん(西村直子)や酒井(善史)が最初から出てくるとか、角田(貴志)さんを女役とかに。それはやっぱり、仕掛けや構造に自信があるからできたんですよね。
──じゃあ今回は逆に、その辺りに不安があるから、他の部分は鉄板で固めようと?
割とその感じがあるかもしれないです。やろうとしてることが、割と僕ら的には新しいところへ踏み出そうとしている気がするんで、今までの使える武器は全部使おうみたいな感じになりました(笑)。でも結構、変な劇ですよね?
──確かに「戯曲賞受賞後にコレをやる?!って思うような、アナーキーさがありました。
それは前回の公演が、すごく優等生……でもないですけど、割とバランスがいい劇になってたんで、今回はそうじゃなくてもいいかなあという気がして。見にくいというんじゃないけど「どうなるかわからんけど、やってみたかった」みたいなことを、ちょっとやってもいいかなあと思ったんですよね。好き嫌いが別れる気がしますけど、「珍しい劇を作る」という僕らの持ち味は、ちゃんと発揮できたんじゃないかと思います。あと今回は、ちょっとホラーの要素を入れることができたんですよ。『来てけつ……』でも哲学的な話を扱ったし、笑い以外の文法や面白みみたいなことは、これからもどんどん使えるようになっていけたらいいなあと思います。
文:吉永美和子